帰宅。……そして修羅場へ。

 ようやっと小太刀邸より自宅へと帰宅。
 しかし待っていたのは、7日の法事へと向けた準備であった。
 法事と言いはするが、実際にはウチは仏教徒ではないため、祭祀というのが本来。
 周りに分かりやすくするために、あえて「法事」と口にはするが、様相はだいぶ違う訳だ。そもそも僧侶を呼んだりする事もないし、寺にも行かない訳で。
 
 
 さて、まず家のシャーマンである所の私のこの日の準備は、家の周りの雑鬼を払って土地神に家まで来てもらうための道を清めることである。
 なので最初に鈴を振り、鐘を鳴らしながら家の周囲の様子をつぶさに観察。いわゆる鬼というのは陰陽五行説に従うと、木行に分類される。このため、金属(金行)の鈴や鐘を鳴らし、金克木の理によって鬼を払うのだ。
 この際、注意点は2つ。
 雑鬼を払うとは言ったが、結局、祭祀で祭られる我が先祖の方々とて結局は鬼*1であることには変わらない。このため、払いすぎてしまうとそもそも祭祀の対象である先祖すら払ってしまう可能性がある訳だ。*2
 さらに言えば、鬼と化した先祖には鬼同士のつき合いがある訳で、そこで雑鬼だとして先祖の付き合ってる鬼を払ってしまったら、やっぱり先祖がへそを曲げる危険もある。そうでなくても、払いすぎはそれはそれで良くないのだ。*3
 第二に、祭祀の際には、先祖と土地神を主に祭るが、やはり周辺の雑鬼に「お裾分け」もするのが基本である。先祖以外にも、雑鬼の中の気の良いのが我らを守ってくれてるかも知れない訳で。*4
 加えて言えば、我らがそうして「お裾分け」を行うことで、先祖の「あちら」での社会的地位が向上すると言う。先祖の地位が上がれば、我々に与えてくれる守護の力はより高まるし、ちょっかいを出してくる雑鬼も減るという訳だ。*5
 
 
 鐘で大まかに場を清め、鈴で吹きだまってる手合いを追い出し、時には水をあげて機嫌を取る。それでもダメなら塩や米を巻いたり、火で脅す訳だが、今回は鐘と鈴で充分だった。
 正直、卵や生肉まで使わなくてはならない時など、買い物の手間は掛かるし、後始末も楽ではないしで少々、閉口することも少なくない。その意味では今回、台風やら何やらのおかげで、ある程度、状態が良好で助かった。
 次いで、剣で道を切り、風を呼んで「通り道」をつける。
 この「通り道」を伝って、土地神が我が家の祭祀にやってきてくれる訳だ。土地神がどれだけ濃厚にやってきたか*6によって、祭祀の成功度合いはかなり異なるのでやってるのとやってないとでは、やはり結果が違う。
 この辺の土地神は、場所が日本である以上*7、神社の祭神である。私の家は北巽という場所にあるので、今回は巽神社(http://www.kamnavi.net/en/kawati/tatumi.htm)から来てもらうことになる。*8
 幸い巽神社より我が家は、内環状線沿いに一直線であるため、道をつけるのもそう難しくはない。基本的にこうした土地神は、曲がり角で曲がることはできないので、曲がり角があるたびに「道」を付け直す。巽神社の場合は、それがたったの数回で済むため、所要時間はかなり短くて済んだ訳だ。*9
 
 
 したが如何に短いとは言え、やはりそこはそれという物。
 結局この日は祭祀の準備以外は何もできず、早々にグロッキー状態で床につく。と言うか、何時に寝たかを覚えておらず、気がつくと翌朝だった……。
 
  
 

*1:道教では、鬼とは死霊のことを指す。ここでもその意で使用。

*2:通常、日本では先祖を払ってしまうリスクよりも、雑鬼が来てしまうリスクの方を重視して、過剰に払うのが当たり前みたいになっている。

*3:現代人が除菌、抗菌のやり過ぎで最近やウィルスへの抵抗力が落ちているのと同様、霊的な免疫力を落とす危険性があるためだ。

*4:ちなみに私は霊感のないシャーマンなので、そうした雑鬼が我らを守ってくれてるかどうかは、正直よく知らない。シャーマンと言うと人は偏ったイメージを持ちがちだが、私みたいな霊感のない手合いも結構居るのだ。

*5:供養や施餓鬼は別段、死んだ人間を偲ぶためだけにするのではない。死者に生者を攻撃しないでくれと願い、できれば守ってくれたら嬉しいと考えるから、行うのである。この段では、死者を弔うとはギブ・アンド・テイクとも言える。無論、我が父、我が母、兄弟姉妹や親戚、我が子や孫を失った方が行う弔いとは、この場合、性質を異にする。そのようなケースは、その死を悼むための物だからだ。

*6:一口に土地神がやってくるとは言うが、別に物理的な実体を持つ訳ではない土地神が、実際に我が家までえっちらおっちらやって来る訳ではない。彼らは単にチャンネルを繋いでで来るだけの事なのだ。その際、いくつのチャンネルを開いてくれたかで、通信の回線速度が違うのと同様にその“濃度”が違う訳だ。

*7:日本国内でも場所によっては、教会やら何やらに土地神が寄っているケースもあるらしい。

*8:暦と天の九星の配置によって、時には巽神社ではなく北側の清見原神社(http://www.kamnavi.net/en/settu/kiyomihara.htm)になることもある。

*9:清見原神社の場合、何時間かかるやら……。