肩の荷が下りる


 9ヶ月近くブログをお休みしておりました。
 その間、色々とご心配下さった皆様には、本当に申し訳ない限りです。

 前回のブログで最後に書いた出張の後、矢継ぎ早に仕事をこなす毎日が待っていようとは、当時の私は想像だにしていませんでした。
 結果として、あの時に請け負ったお仕事は8月には皆様に報告できる状態になることとなり、そして今日またもうひとつ大きな仕事が第一段階の節目に至りました。こちらの方も近い内にまたご報告の機会があることでしょう。
 
 いずれにせよ、これを契機にまたブログを再会できる心の余裕が産まれればいいなと思っております。その際は皆様、またよろしくお願い申し上げる所存です。
 m(_ _)m

火事騒ぎ

 相方の小太刀氏と打ち合わせの電話中、母が血相を変えて我が部屋の扉を叩いた。
「火災報知器のベルが鳴っている」との一声。
 母は今、数年来の病み疲れで体力が非常に無く、もし火事で避難となったら迅速な行動は期待できない状態。本当に火が出ているのなら、いち早く対処せねばならないのは必定である。
 無論ながら、私だとて悠長なことは言ってられない。
 集めた資料は決して失えない私の武器その物であるし、中には何処ぞの大学教授が書いた民俗学や考古学の研究論文など、二度とは手に入らない貴重な文献もあるのだ。PCのハードディスク共々、何とかして持ち出さねばならない財産である。
 それらの避難を行うなら、早急に事態を把握し、対策を練らねばならない訳だ。
 
 
 だが……、問題は我が住まいであるこのマンション。
 実は年に1度は火災報知器が誤作動する。
 すでに築20年を数えるこのマンションだが、小火が出たのは実に2度。しかもその内、1度は鍋の空炊きで単に室内の温度が上がっただけ。もうひとつは携帯コンロの使用ミスで、いずれも消火器レベルの装備で何とかなる程度の物だった。
 ……にも関わらず、年に1度以上のペースで誤作動するのだ、ウチの火災報知器は。
 おかげでベルが鳴っても、住民は大あわてで避難しようにもし切れない。今度も誤作動だったら、避難した後が大変だ。だが、もしも誤作動ではなかったら?
 こうしたアンヴィバレントに、我がマンションの住人は火災報知器が鳴るたびに晒されるのだ。
 
 
 で、まぁ、母の懇願もあって、火災報知器の当該ポイントへと向かう。
 我が住まいは9階建てマンションで1階はガレージという構造をしており、火災報知器のターミナルはメインのそれが1階に、サブが2階から9階に8カ所存在する。で、鳴ったと思われる最初の火災報知器は、4階のそれ。
 行ってみると、珍しく迅速に警備会社の人間が動いていた。いつもなら20分は待たされる所だが、今回はたまたま巡回で近くに居たらしい。その後、彼らに同行し、事態の真相究明に半ばなし崩し的に参加。結果、火災報知器にサインを送った端末の位置が特定され、その端末は別に火や極端な熱に晒されていない事が判明した。
 つまり、またも誤作動であった訳だ……。
 
 
 結局、合計で1時間近く振り回された訳で。
 骨折り損のくたびれ儲けとはこの事かという気分で帰宅。
 したがまぁ、火事にならなんで、避難もせずに済んだ訳だから、これはこれで良しとしようと言う感じでもあったり。
 もし見に行った結果、火事であることが判明したならば、もっと大変な想いをしていた訳である。そう考えると、この骨折りで火事1つ回避できたと思えば、悪くはないかと言う所である。
 
 

法事当日。

 法事(祭祀)当日。
 さすがに卵を初めとした傷みやすい食品の調理は当日に行われた。
 当日ともなると、親戚の女手も手伝いに来てくれたので、非常に助かった。何しろすでに連日の準備で結構バテてきている。助け手はいくらでも欲しい。
 
 
 で、まぁ、祭祀の本番である。
 とは言え、さすがに現代日本でそこまで派手な祭祀を個人の力で行うことは難しい。
 そこまで行かなくとも、現代社会に生きる以上、端折らねばならない事項はたくさんある。一番、悔いがあるというか、省かねばならないのが、元来の祭祀は「夜明けに行われる」と言う項目だ。本来は祭祀前日の夜からずっと宴会をやり、本番は夜明けの頃。そして朝ご飯と同時にまた宴会をやる訳だ。
 前日の夜のが言うなれば前夜祭で、祭祀の日は一日ずっと祭りをやるのである。*1
 より言うなら、祭祀の際には自宅の敷地内に宗廟があるのが前提であり、その近くの山に陰宅(墓地)があるのが当たり前という形式で作法が定められている。
 ……しかし、これらを全て達成するのが困難である事は、もはや言うまでも無いだろう。現代日本に住まう以上、何かは省かねばならないし、省くのが躊躇われる儀式の中核を為す事柄であっても、達成不可能に近いならそれを行うことはそもできない訳だ。
 なのでどうしても苦渋の選択として、略せる所は略して祭祀をやる。略せない所でも、どうしようもない所は略してでもやる。そうしなければ、そも祭祀を行うこと自体が不可能となり、本末が転倒してしまうからだ。
 
 
 そして夜も更け、親戚一同が会した所で祭祀その物の儀式へと入る。
 まず土地神を祭り、施餓鬼を行う。そして、その供物は一部を鬼たちへの振る舞いに、一部を竈神に、一部を地に返す。そうしてようやく、先祖の供養だ。
 まずは降神の儀を行う。先祖を祭祀の場へと呼び寄せるのだ。
 この際に、先祖ではなくその代理が来たり、先祖が他の鬼をつれてきたり、甚だしい場合だと全く赤の他人が来ることさえある。いずれにせよ、来た以上は祭るのが本分で、鬼の方も祭られた以上は守護を下すのが作法だ。*2
 ただし叶う限りはやっぱり先祖に来て欲しいため、祭文を読み、だめ押しでさらに呼び出しをかける。それらの過程が済んだなら、酒杯を捧げ、酒肴を供し、飯と汁を捧げて、最後にお茶を頂いてもらう。
 そうして人心地ついてもらってから、ようやくお客(この場合は祭祀を行う一家以外の血族)の訪問と挨拶を受けるのだ。もし人心地着く前に客の訪問を行うと、過剰に客からエネルギーを吸い取り、その身を損なってしまう可能性があるためである−−祭祀を行う一家の者は、事前準備の過程を守護と契約を施す。*3
 全ての挨拶が終わったなら、先祖には帰って頂き、残った者達は祭壇に上げた料理を下ろしてそれを頂く。祭壇に上げられた料理、すなわち先祖が食して料理には彼らの気が宿り、その料理を食することで生者らは彼らとの導管を獲得する。この導管を通じて、先祖はその子孫を守護するのだ。
 
 
 祭祀の儀式も終わり、そうしてようやく長かった一連の行事も終幕となる。
 祭祀のために片づけていた生活用品を元に戻し、さすがに食べきれなかった大量の料理をラップして冷蔵庫へ。*4
 さぁ、これで11月頭の行事は終了。
 次は遠方への出張である。法事で疲れ切った身体を、それまでに癒さねば……。
 
 

*1:そも神社でやってるお祭りと、私が行う祭祀にその意味で違いはない。

*2:そうしない場合は、縛したり散らすのが基本となる。

*3:最もそれでも身を損なうことはあるが……。

*4:物によっては冷凍庫へ。

法事の準備、三日目。

 この日は昨日買い込んだ料理を調理するのが主任務となった。
 とは言え、はっきり言って面白い話題は、あまり無い。
 ただ黙々と野菜をゆで、肉を焼き、それを淡々と繰り返したに過ぎない。
 
 
 その作業中に、「種デス」の四話を視聴。
 我が母はファーストガンダムを私と共に見ていたこともあり、池田秀一のファンなのである。*1
 デュランダル議長の話が料理中に出たことから、そのまま最新のガンダムを見る流れになったのだ。とは言え、四話から見る母にしてみると話の流れはやはり見えなんだらしい。
 無理もないことだが、母からすると主人公はアスランにしか見えないようだ。
 私はと言うと、コロニー外壁を疾走するガイアガンダムの雄志に、ファーストの打ち切りのため果たされなかったギガン*2の演出を思い浮かべて感動。*3何でもSF考証が間違ってるという意見が喧しいようだが、そう言う方は万有引力の算式と遠心力の働くポイントについて数値代入を行われることをお勧めする。正直、多分、演出家は何も考えなかったと思うが、考証屋としては少々無理すれば充分走れると一応言っておく。*4
 
 

*1:と言うよりも、池田秀一氏の俳優時代のファンと言えるかも知れない。母は子役時代の美少年役を主として活躍した池田秀一のことをよく嬉しそうに語っている。

*2:MS−12ギガン(http://www.mahq.net/mecha/gundam/ms-x/ms-12.htm)。ペズン計画で試作されたMSの1つで、対空防衛用として設計された。ファーストガンダムが打ち切られたため、登場しなかったMS。

*3:富野メモによるとファーストが打ち切られなかった場合、ギガンはコロニー外壁をそのタイヤで疾走し、ガンダムを迎え撃つというプロットであったらしい。

*4:でないと、コロニー外壁の補修作業をどうやってプチモビで行うのかね。

法事の準備、二日目。

 現在、我が家で行っている法事(祭祀)は合計3回。正月とお盆のそれを含めると年に5回のイベントである。
 この日の主任務は買い出し。
 我が家の法事は、親戚一同やってきて料理をつつくのがやはりどうしてもメインとなる。
 私の認識はともかくとして、我が血族の法事に対する認識の大半は年に数回、親戚の家に集まってのレクリエーションの範疇をあまり出ない。*1
 それも仕方のない所と言うのが、時代の流れという物だ。
 それに祭祀という物が、それなりに豪勢な料理を作って食べる催し物であること自体は、過去3千年変わりはしない事実なのだから。
 
 
 祭壇に上げる料理と、来てくれた客に出す料理、そして無論、家族の食べる分。
 献立はいつも悩む要素だ。
 祭壇に上げる料理は定型化されているから良いとして、客に出す料理はやはり悩む。
 貝柱と甘鯛のチヂミを焼いて、祭壇に上げる料理の残りに鶏の唐揚げと蕎麦粉の豆腐。そしてエイの刺身と蒸し豚、エゴマの葉。元々、祭壇に上げる料理だけで結構な種類なので、他の料理はそれを補う目的の物である。とは言え、やはりそれなりに凝りたいのが人情と言う所か。
 
 
 買い物を終えて帰ってみると、母が肉を斬っている所だった。
 牛のもも肉を切って串に刺す*2訳だが、基本的に串は最低で8本〜10本、作らねばならない。この時、1串に7本程の肉を刺す。で、この串に刺す肉を斬るのはそれはそれで大変な訳だ。*3
 どうやらそうした大変な作業を、前日や当日にいっぺんにやるのは疲れると判断したらしく、日を分けて行おうと考えたそうな。実際、すでに同じく祭壇にあげる豚肉はもう作業が終わっているそうで、そのまま私も母の作業を手伝うことに。
 その間、形を整える際に出た肉の端切れをありがたく頂戴する。生で食べられるくらい新鮮な牛の赤身を、醤油で食するのは大変美味であった。
 
 
 その後、夜遅くまで掛かってリビングのテーブルやらイスやらを片づける。4LDKの我が家に20人からの人間が来る訳で、座る場所を確保するには日常の生活空間では到底足りないのだ。
 結局、この日も最後にはグロッキー状態で眠りにつく……。
 
 

*1:さすがに長老や大叔父は違うが、若い世代ともなるとはっきり言って勘違いした意見もないではなかったりする。

*2:同様に豚肉も串に刺す。

*3:無論、刺す作業も大変。

帰宅。……そして修羅場へ。

 ようやっと小太刀邸より自宅へと帰宅。
 しかし待っていたのは、7日の法事へと向けた準備であった。
 法事と言いはするが、実際にはウチは仏教徒ではないため、祭祀というのが本来。
 周りに分かりやすくするために、あえて「法事」と口にはするが、様相はだいぶ違う訳だ。そもそも僧侶を呼んだりする事もないし、寺にも行かない訳で。
 
 
 さて、まず家のシャーマンである所の私のこの日の準備は、家の周りの雑鬼を払って土地神に家まで来てもらうための道を清めることである。
 なので最初に鈴を振り、鐘を鳴らしながら家の周囲の様子をつぶさに観察。いわゆる鬼というのは陰陽五行説に従うと、木行に分類される。このため、金属(金行)の鈴や鐘を鳴らし、金克木の理によって鬼を払うのだ。
 この際、注意点は2つ。
 雑鬼を払うとは言ったが、結局、祭祀で祭られる我が先祖の方々とて結局は鬼*1であることには変わらない。このため、払いすぎてしまうとそもそも祭祀の対象である先祖すら払ってしまう可能性がある訳だ。*2
 さらに言えば、鬼と化した先祖には鬼同士のつき合いがある訳で、そこで雑鬼だとして先祖の付き合ってる鬼を払ってしまったら、やっぱり先祖がへそを曲げる危険もある。そうでなくても、払いすぎはそれはそれで良くないのだ。*3
 第二に、祭祀の際には、先祖と土地神を主に祭るが、やはり周辺の雑鬼に「お裾分け」もするのが基本である。先祖以外にも、雑鬼の中の気の良いのが我らを守ってくれてるかも知れない訳で。*4
 加えて言えば、我らがそうして「お裾分け」を行うことで、先祖の「あちら」での社会的地位が向上すると言う。先祖の地位が上がれば、我々に与えてくれる守護の力はより高まるし、ちょっかいを出してくる雑鬼も減るという訳だ。*5
 
 
 鐘で大まかに場を清め、鈴で吹きだまってる手合いを追い出し、時には水をあげて機嫌を取る。それでもダメなら塩や米を巻いたり、火で脅す訳だが、今回は鐘と鈴で充分だった。
 正直、卵や生肉まで使わなくてはならない時など、買い物の手間は掛かるし、後始末も楽ではないしで少々、閉口することも少なくない。その意味では今回、台風やら何やらのおかげで、ある程度、状態が良好で助かった。
 次いで、剣で道を切り、風を呼んで「通り道」をつける。
 この「通り道」を伝って、土地神が我が家の祭祀にやってきてくれる訳だ。土地神がどれだけ濃厚にやってきたか*6によって、祭祀の成功度合いはかなり異なるのでやってるのとやってないとでは、やはり結果が違う。
 この辺の土地神は、場所が日本である以上*7、神社の祭神である。私の家は北巽という場所にあるので、今回は巽神社(http://www.kamnavi.net/en/kawati/tatumi.htm)から来てもらうことになる。*8
 幸い巽神社より我が家は、内環状線沿いに一直線であるため、道をつけるのもそう難しくはない。基本的にこうした土地神は、曲がり角で曲がることはできないので、曲がり角があるたびに「道」を付け直す。巽神社の場合は、それがたったの数回で済むため、所要時間はかなり短くて済んだ訳だ。*9
 
 
 したが如何に短いとは言え、やはりそこはそれという物。
 結局この日は祭祀の準備以外は何もできず、早々にグロッキー状態で床につく。と言うか、何時に寝たかを覚えておらず、気がつくと翌朝だった……。
 
  
 

*1:道教では、鬼とは死霊のことを指す。ここでもその意で使用。

*2:通常、日本では先祖を払ってしまうリスクよりも、雑鬼が来てしまうリスクの方を重視して、過剰に払うのが当たり前みたいになっている。

*3:現代人が除菌、抗菌のやり過ぎで最近やウィルスへの抵抗力が落ちているのと同様、霊的な免疫力を落とす危険性があるためだ。

*4:ちなみに私は霊感のないシャーマンなので、そうした雑鬼が我らを守ってくれてるかどうかは、正直よく知らない。シャーマンと言うと人は偏ったイメージを持ちがちだが、私みたいな霊感のない手合いも結構居るのだ。

*5:供養や施餓鬼は別段、死んだ人間を偲ぶためだけにするのではない。死者に生者を攻撃しないでくれと願い、できれば守ってくれたら嬉しいと考えるから、行うのである。この段では、死者を弔うとはギブ・アンド・テイクとも言える。無論、我が父、我が母、兄弟姉妹や親戚、我が子や孫を失った方が行う弔いとは、この場合、性質を異にする。そのようなケースは、その死を悼むための物だからだ。

*6:一口に土地神がやってくるとは言うが、別に物理的な実体を持つ訳ではない土地神が、実際に我が家までえっちらおっちらやって来る訳ではない。彼らは単にチャンネルを繋いでで来るだけの事なのだ。その際、いくつのチャンネルを開いてくれたかで、通信の回線速度が違うのと同様にその“濃度”が違う訳だ。

*7:日本国内でも場所によっては、教会やら何やらに土地神が寄っているケースもあるらしい。

*8:暦と天の九星の配置によって、時には巽神社ではなく北側の清見原神社(http://www.kamnavi.net/en/settu/kiyomihara.htm)になることもある。

*9:清見原神社の場合、何時間かかるやら……。